近年、社会的に大変な問題となっている狂牛病(ウシ海綿状脳症;BSE)などのプリオン病は、細胞内の正常型プリオンタンパク質が感染型のプリオンタンパク質に高次構造変換することが原因で起こる疾患の総称であり、動物ではヒツジのスクレイピー、ヒトではクールー病、クロイツフェルト-ヤコブ病、ゲルストマン・ストロイスラー・シャインカー症候群、致死性家族性不眠症などが知られている。
正常型のプリオンタンパク質は通常の脳組織にも発現しており、これが何らかの作用でβシート構造に富んだアイソフォームに変化し、脳内に凝集することで神経疾患を引き起こすと推定されている(図1)。異常プリオンタンパク質は、正常型のプリオンタンパク質と異なり①熱や、酸、アルカリ、界面活性剤やプロテアーゼに対して強い抵抗性を持つ②感染性を有するという特徴がある。

そこで本プロジェクトでは、鹿児島大学農学部獣医学科教授 故岡達三博士との共同研究で異常プリオンタンパク質を分解でき、不活性化、消毒できるタンパク質分解酵素プリオナーゼ(日本国商標第4932402号、第4925193号、米国商標第76642159号)を2004年に発見した。屠畜場で使用された器具の清浄化および消毒、家畜の餌として使用された肉骨粉に含まれる異常プリオンタンパク質の分解および感染した場合に異常プリオンタンパク質が存在する可能性の高い、ソーセージを製造する際に用いられる天然ケーシング(羊腸)の無害化などに取り組んでいる。
プリオナーゼ産生微生物の分離 我々は1999年に許可を得て千葉県習志野市の谷津干潟から新種と推定されるStreptomyces属の放線菌を分離した。谷津干潟は東京湾奥部に発達した前浜干潟が残った場所で、有機質に富む泥質の干潟である。また、2本の水路で海と接続しており、有機物の分解の場、多様な生物相が存する場所である。

干潟の場所は以前には海だったが、現在の干潟がある場所の周囲は埋め立てられた。

干潟の出入り口の水路から分離した。潮の満ち引きに伴い、海水と陸水が激しく出入りを繰り返す場所である。また、住宅地が周囲に広がるため生活排水などの流入も多い。

内陸に残された干潟。ラムサール条約指定地。
強力なタンパク質分解活性を有する微生物は、プリオナーゼ以外にも特に干潟から数多く分離された。
プリオナーゼ産生微生物99-GP-2D-5株 99-GP-2D-5株は放線菌のひとつであり、形態や生理生化学的性状、16SrDNA配列にもとづく系統樹の解析から、Streptomyces属の微生物であること判った(図5、6)。


プリオナーゼの探索 異常プリオンタンパク質は、感染の危険があり異常プリオンタンパク質を用いた研究がP3以上の安全レベルを有する研究室に限られているなど、取り扱いが困難であり研究を進める上で限界がある。加えて本研究の着手期には国内での狂牛病の発生例が少なく異常プリオンタンパク質の入手が困難であった。そのために本研究では、異常プリオンタンパク質と立体構造が類似しており耐熱性、耐酸、耐アルカリ性および耐タンパク質分解酵素性を有する過塩素酸可溶性タンパク質(PSP)を異常プリオンタンパク質の代用基質として用いた。PSPは、肝臓からタンパク質合成阻害活性を有するタンパク質として岡らによって1995年に発見され、mRNAに特異的に作用するヌクレアーゼであるが、免疫疾患抑制、抗がん作用などの多くの作用が報告されている。PSPは内側に6か所のβシート構造、外側に2か所のαへリックス構造を持つ。(図7)

1000種類以上の微生物培養液から、PSP分解を指標にした探索により、プリオナーゼを発見した(図8)。

プリオナーゼの構造と性質 プリオナーゼは新規なタンパク質分解酵素であり、分子量は約19kDa、至適温度、pHはそれぞれ70℃、8だった。

アルカリ性セリンプロテアーゼの一種で、相対分子質量は19,327だった。

1.コントロール
2.Proteinase Kによる処理
3.10μLのプリオナーゼ含有培養液による処理(30min 37℃)
4.20μLのプリオナーゼ含有培養液による処理(30min 37℃)

A;スクレイピープリオンタンパク質のウェスタンブロット像
B;プリオナーゼ処理による、スクレイピープリオンタンパク質の残存(0分比)
異常プリオンタンパク質は、高圧滅菌処理(オートクレーブ)など、一般の医療機関で行われている消毒処理は効果がなく、焼却処理しか方法がないのが現状である。プリオナーゼを消毒薬として利用することにより、完全に異常プリオンタンパク質を分解することができる。
土壌、地下水または地表水中での異常プリオンタンパク質が環境中に放出され、それによりさらなる感染の循環が再生産される可能性がある。異常プリオンタンパク質がヒトや動物の再感染、肥料、作物などに移動する恐れを排除するために、プリオナーゼで病因タンパク質を完全に破壊し、感染性を消失させることができる。異常プリオンタンパク質は134℃、18分の通常の条件より高温、高圧下のオートクレーブ処理によって失活するが、プリオナーゼ処理では37℃、10分の穏やかな条件下で完全に分解することができる。
肉骨粉(牛・豚・鶏から食肉を除いたあとの屑肉、脳、脊髄、骨、内臓、血液を加熱処理の上、油脂を除いて乾燥、細かく砕いて粉末としたもの。豚・鶏の飼料、農作物の肥料、ペットフードの原料となる)は畜産業において廃棄物として大量に生ずる。家畜の餌に混合して利用される他、セメントの材料として再利用されている。安全に肉骨粉を利用するため、プリオナーゼによる清浄化が期待される。
羊腸は天然ケーシングとしてソーセージの皮(ケーシング)に利用されている。ところで、フランスでは羊にBSEを実験的に感染させると、BSEが感染することが報告されている。しかし現在までのところ自然界ではBSEに感染した羊は確認されていない。将来にBSEに感染された羊腸が発生する可能性がある。羊腸のケーシング業界には、BSEに感染された羊腸からBSEあるいはスクレーピープリオンタンパク質を浄化する方法を事前に開発する要求がある。鹿児島大学および株式会社松永商会との共同研究で、異常プリオンタンパク質を有し得る天然ケーシングにプリオナーゼを加え、所定の温度でインキュベートし、インキュベート終了後に阻害剤を添加して反応を停止させ、水洗により分解酵素を失活した場合に、天然ケーシングの異常プリオンを除去し浄化できることを見出した。
プリオナーゼは強力なタンパク質分解酵素であることから、他の難分解性動物タンパク質の分解にも応用可能である。発電所などで陸揚げされたクラゲ類の分解、日本海沿岸で深刻な被害を起こしているエチゼンクラゲなど多くのクラゲ類について、30分以内で完全な分解処理が可能である。現在実用化に向けて最終の検討段階にある。
<図 定置網に混入したエチゼンクラゲ(秋田県男鹿市 第18瑤光丸 平川秀三郎 氏のご好意による)>